49日の法要を済ませました

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今日は、お義母さんの49日法要があり、都内のお寺まで出かけました。

何か行事があるときはいつも晴れ、のお義母さんでしたので昨日の荒天とうってかわって、
晴天の一日でした。
本人の明るい気性のおかげでしょうかね。

自分がこの歳になると、人の死は他人事とは思えず、どう生きるかはどう死ぬかに
つながっている、という誰かの言葉を思い出します。

人はいつかは亡くなるわけですが、この世に生を受けている以上、自分らしく、
生き生きと、誰かのために、という考え方のウェイトが年齢とともに
どんどん高まっていく、という気がします。

どう生きるのも個人の自由(人に迷惑をかけなければ)なわけですが、限りある生を
いとおしむためには、常に前ばかり向いているのではなく、時には故人や故人との思い出を
思い出し、感謝したり、自分の今を振り返ったり、反省したり、そんな気持ちになることが
大切な気がします。

生きている、だけではなく、生かされていることへの感謝、「ついている」と
思うこと
(これはある時点から意識して思うようになりました。何か予想外のことがあっても
俺はついている、なぜなら、、、)という思いでいると、一喜一憂することや杞憂が
減った気がします。

生や死を考えるといつも、抽象的な思いにとらわれることが多いですが、
こんな時間を持てることも有難い、と思えるようになってきました。

来週には、母の3回忌があります。
(実家はもうないので、お寺、お墓での法要となりますが、故人を偲びながら、
子供の頃の思い出や、もろもろを振り返ることができる、有難い機会と思い、
帰省してきます!)

余談ですが帰り道、東京大学の近くでは、多くの人が出ていました。すごい行列だったこのお店、
行ってみたくなりました。(中華、兆徳、というお店です)




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